昏い過去・・・俺の黒歴史⑱

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黒歴史】祖父は母の『行くへ不明者届』を警察にしていたので、身元不明者の死体情報があると警察から連絡があり、行っていた。小金治さんのテレビ番組『それは秘密です』を見ては、何十年ぶりに再会した親子を見ては泣いていた。

黒歴史】▶▶▶時は移り、俺20歳、大学を中退して個人の新聞屋さんで働いていた時、入院していた祖母の死亡の連絡があり、急いで三次市の祖父母の家に、祖母は仏壇の前で顔に白い布をかけられていた。叔母・叔父たちも戻っていて、奥の部屋から小ぶりなおばさんが出て来た。「ヒロシぃ~」と俺の胸に飛び込んできたのは10年ぶりに再会した母。ウソ泣きのような嗚咽で、白けた気分。話したいことは殊になく、俺は「どこに居てどんな暮らしなの?」と聞いた。「大阪市内で船乗りさんと暮らしている」とウソっぽい話をする母。葬儀が終わって、母が「車買うたろうか?クラウンがええか?マークⅡがええか?」と。俺は「そんなことより、住民票とか原爆手帳とか、ちゃんとせえよ!」。案の定、その後も母はちゃんとせず、大阪の人ごみの中で紛れて暮らしてたようだった。

黒歴史】▶▶▶時は移り、俺40歳の誕生日11月22日、福山の借り上げ社宅で、女房と一人息子と祝っているとき、叔父(母の弟)から、「あんたのお母さんが脳梗塞で倒れたらしい」と電話があった。兄にも連絡して、都合をあわせて、数日後、大阪の母の元へ見舞いに行った。「来てくれたんか?」と弱弱しく言う母、しかし、その眼は黒く深く光っていた。兄は30年ぶりの再会、感激の面持ちでウルっと来ていたが、俺は悪行の数々を目撃しているだけに、鉄面皮を通した。帰って、叔父に報告ともに、「母のことは、兄に直接連絡してほしい。俺は、死ぬまで会いたくない」と伝えた。

黒歴史】▶▶▶時は移り、3年後の10月、社員旅行のバスに乗り込もうとしたとき携帯電話に「母が死亡した」と連絡が入った。バスの中の同僚にそのことを伝え、最高責任者GTOに「ウソかもしれませんが、母の死亡の連絡が入りましたので、社員旅行に行かず、大阪へ行ってきます」と報告。大阪の葬儀会社の案内された会場裏の倉庫のようなところへ母は横たわっていた。「大阪では、福祉さんからの葬儀もぎょうさんあって、予算も少ないさかい・・・」と業者。無言で一礼し最高責任者GTOに報告。「本当に母は亡くなっていましたので、忌引きのお休みをいただきます」。GTOは「そうか」と一言。まもなく、「あんたらが息子さん?」「お母さんには、往生させられたわ!」「なんせ一回りも歳をごまかされてたんやから」「ここのことは、あんたら、頼むでぇ~」と30年近く同居して来たという男性はまくしたてた。兄も俺も無言で頭を下げるだけだった。素晴らしいお経を頂き、葬儀を終えて、火葬を終えて、まだ温かい骨壺を抱いて、三次へ。代々お世話になている専法寺(梵英心の実家)に四十九日まで預かってもらい。納骨の日、三次でも珍しい積雪40cm。雪をかき分けて、梵和尚さんのお経を頂き、納骨を済ませた。祖父母とともに、母がじっと我慢できるのか?ちょっと心配。