再会・・・木を植えた男

 6月2日日曜日、おおばあちゃん家に置かしてもらっていたたくさんの絵本と書かれた段ボール箱から『木を植えた男』にまた会えた。1989年生まれの一人息子のために福音書館から毎月通販で買っていた絵本の中の一冊。

 ネットによると「その本を書いたのは、ジャン・ジオノという名のフランスの作家。フランス南東部の高地の描写から始まる。作家は一人旅に出ている。無人の丘陵地帯。荒れ果て、乾燥し、風がたえまなく吹く。日ざかりに水を求めて歩くうち、羊飼いに出会う。ひょうたんの水を飲ませてもらい、小屋に泊まった。五十代の羊飼いは、口数が少ない。だが、一緒にいると心が落ち着いた。夜、羊飼いは袋を持ち出し、ドングリをざあっと食卓にあける。一つずつていねいに調べ、よい実をより分ける。百個そろえた。翌朝、出かける時、羊飼いは親指ほどの太さの鉄の棒を持った。長さ一メートルほど。ある場所まで歩くと、鉄棒を地面に突き刺した。そうして作った穴にドングリを一つ入れ、土でふさぐ。つまりカシの木の種をまいているのだ。一粒ずつ、心をこめて百個。この出来事のあと戦争が始まり、戦後、何年もたってから、作家は再び高地を訪れる。驚くべし、かつて何もなかった丘陵や谷間に、カシだけでなく、ブナも生い茂っている。しかも自然の連鎖を目のあたりにした。せせらぎが聞こえ、水のほとりには、風の運ぶ種から出た植物も…。あまり詳しく紹介すると、この短く美しい物語のじゃまをしてしまうことになりそうだ。しかも、簡古で表現力ゆたかな文章の趣を損ねることになりかねない。『木を植えた人』(原みち子訳)を読んで、ふかぶかとした気持ちを味わった。四十年近くも前に書かれた本とは思えない。自然や環境を扱っているが、それだけで今の人々に訴えかけるわけではあるまい。訳者がいみじくも記しているように「ほんとうに世を変えるのは、権力や富ではなく…ねばり強く、無私な行為」であることを、あらためて想起させる。それに羊飼いの生き方が私たちのと大違いだ。質素。粗食。ぜいたくや華美の反対。規則正しく穏やかな仕事。人に知られぬところでの、力まぬ日常…。忘れているものを思い出す。『天声人語朝日新聞1990年2月21日付