愛の行方?

 十五夜十六夜・十七夜・・・ことごと左様に、満ちては欠け、欠けては満ちる月のごとく・・・であるならば、人生はやり直しがきくのだけれど、人生は一度キリの一本道。であるからして、右左の判断で良くも悪くも変わる。

 愛という得体のしれないものが、人生を大きく左右する。複雑な家庭に育ち、『愛のいい加減さ』を横目で見てきた俺。生涯の伴侶に選んだ女房殿は、ガチガチのお堅い性格。彼女にとっての人生で唯一の冒険は、俺と結婚したこと。付き合っていて、最大限に気をつけたのが妊娠。ゼッタイニ、『できちゃった結婚』はしたくなかった。

 長い月日の中で、親戚や他人の人生の浮沈を見て来た。幸・不幸、岸田内閣の支持率のように折れ線グラフで考えてみる。何が幸不幸の分かれ道なのか?そこで大きな要素は『子ども』。子は鎹(かすがい)というけれど、その存在は大きい。できちゃった結婚と軽い表現をするけれど、男の覚悟はいかばかりか?といつも思う。女は性根が座っているが、男の決心なぞ、軽い。が、生まれてくると、その責任の重さにタジログ

 結局、覚悟が決まらないまま親となり、子どもも女房も不幸にする。アメリカでは、未だに宗教上の理由から、中絶の是非が問われている。

その前に、今こそ『愛』を問うてみるべきではないか?このネット社会で。