コバやんとの人生比較論

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コバやん(そんな風に呼んだことはないけど)は『ふたば幼稚園』の同級生の新聞販売所所長。迷い道の俺の人生に比べ、一本道の『新聞道』人生。わき見ばかりの俺の人生に比べ、美人の奥様一穴?風見鶏の俺の人生に比べ、ハッキリと自分の意見を言い貫き通す人生。ねずみ色の判断をする俺に比べて、シンプルで白黒ハッキリ。それでいて、いつも読者のことを考えて、損得抜きで毎日毎日新しい企画で、読者を喜ばせているので、店にお客さんがついていて経営も安定している。■そこで考えてみた・・・なぜ俺は、コバやんになれへんかったんやろか?俺は、そもそも高校の英語の先生になって、サッカー部の監督になりたいと大学行ったけど、パチンコにおぼれて中退。コバやんは個人販売所で「数年経ったら、独立する!」約束で修行。俺は大学を中退して、なりゆきで個人販売所で働いていたけど2年で辞め、なりゆきで本社の子会社に入った段階で『個人販売所所長』になりたいという野望は封印した。「販売所所長になる」研修センターにもなっていた子会社は、入って分かった!個人販売所所長の息子や婿、または販売所所長が強烈に推薦したものしか『個人販売所所長』に成れないってこと。そこで、目的をまずは「子会社の営業所の所長になる」に決めたところから、コバやんとの人生グラフに差が開き始めた。営業所所長になっても、給料は月並みで、常に上司(唯一の権力者GTO)に気に入られることが最優先。ハッキリものをいうコバやんのように言えなくなった。研修に来ていたコバやんは上司GTOともハッキリ対立したが、つぶされずに個人販売所を持った。俺は・・・それなりに子会社で出世もしたけど・・・48才の時、「下蒲刈島の個人販売所をやりたい」と上司GTOに申し出たとき、次々と良い条件のポストを提案された。けど、もう上司GTOの顔色を見る人生は嫌だと思って、固辞した。そして上司GTOは「ハマちゃんも、出ていくのか」とつぶやいた。申し訳なかった。その3年後、上司GTO心筋梗塞でこの世を去った。