ソロについての考察

 

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 今朝の中国新聞朝刊の10面11面ワイドで「ソロの時代」①孤立じゃない。『ひとり』についてソロキャンプやSNSでのソロ活動が掲載されていた。くしくも朝日新聞27面に「相次ぐ無差別襲撃」=「孤立犯罪」ドリアン助川さんに聞く=今朝のRCCラジオで本名さんが取り上げていた。うちの息子の結婚式で、同僚が「ハマが『俺は孤独だ!』と電話をかけて来た時には、ドン引きした。けど、キレイな花嫁が見つかって明るくなって良かった」と祝辞を述べていた。確かに、一人息子は孤独だったかもしれない。俺たち夫婦は同志のように仕事に取り組んだ。夕食時も仕事の話ばかりしていた。しかし、誰もが孤独。長年連れ添った夫婦でさえ、きっと孤独。

 葬儀で火葬場まで行くことがある、収骨(骨拾い)の時、俺は亡くなった人の連れ合いの顔を観察する。肉がついているときの焼く前には思いが残っている感じがするが、骨だけになってからは、あきらめがつくのか、誰もが、生前、痛い痛いと言っていた場所の骨を見ている。人生を共に歩んできた連れ合いの骨。いつも考える、女房よりも長生きする契約だけど・・・女房の骨を拾う日が来るのか・・・。死が二人を分かつ、此岸と彼岸。

 一人なんだよ!誰も。だから、生きてるうちに、話せるうちに、目の前の人を、大切にしなきゃ、ダメなんだよ。目の前の人、近い人から、思いを致していく以外に、方法はないんだよ。だから、悪い感情はできるだけ早めに捨てて行くほうがいいよね。