Lemon

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日曜日の朝、お目覚めはいかがでしょうか?Lemonのタイトルとは全く関係ありませんが、米津玄師のLemonの話になってしまいました。「夢ならばどれほど良かったでしょう。いまだに、あなたのことを夢に見る」って、うーん、夢に見てもらえる『あなた』って、うらやましいです。そこまで思われていたなんて。「戻らない幸せがあることを、最後にあなたが教えてくれた」ということは、『あなた』から、別れを告げられたってことです。「どこかで、あなたが今、私と同じような涙に暮れ、寂しさの中にいるなら、私のことなど、どうか忘れてください。そんなこと、心から願うほどに、今でもあなたは、私の光」・・・ちょっと厳しい話ですが『あなた』は『私』のことを、疎ましく(うとましく≠うっとうしく)思ってしまったのでしょう。芥川龍之介蜘蛛の糸』や東野圭吾『手紙』、浜田省吾『MONEY』で主人公が自分に近づく者を、疎ましくおもってしまう。疎ましいの『疎』は過疎の『疎』=うっとうしい、近づきたくない、離れたい意味です。この米津玄師のLemonの『私』は切々と『あなた』への思いを歌いながら、その実は『私』は『あなた』を愛していた『私』を懐かしみ愛していたのではないか。生きていくとき、人のことを『私の光』なんて、思っちゃいけません。そう思った時、お互いの関係に主従ができて、うっとうしいものになるからです。裸で一人で生まれて、裸で一人で死んでいく。その間に、すべきことは『自分の光』向かって生きること。こんなこと、日曜日の朝に書いている『私』はいかがなものか?