坊守さん・・・スゴイです

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昨日の報恩講、女房の実家の仏間で、お経にあわせていただきました。バイクで来れれたのは坊守さん(=偶然、三次高校の私の同級生)、正信偈を朗々と唱えられて、お経の本を見ながら、義父母と女房と私がついていきました。ふと、顔をあげてみると、お経本を見ずに、お顔をあげて一言一句淀みなく唱えられていて、いくら仕事とはいえ・・・驚嘆しました。お経の後のお話がこれまたビックリ!

坊守さんは「昨日、おかげさまで、結婚25年の銀婚式を迎えました。ご院さん(=ご主人)の父はご存知の通り藻塩を熱心に取り組んでおりました。その父(=ご院さんのお爺さん)は本願寺から日系人が多かったハワイに妻と3人の子どもを連れて派遣されて、藻塩の父も当時6歳だったそうです。昭和16年12月8日(現地7日)ハワイの日の丸を掲げているお寺の上をゼロ戦が旋回したのを、見上げたそうです。トラトラトラ!真珠湾攻撃で日米開戦し、日本人はスパイとののしられて・・・祖父は家族ごと捕虜収容所のようなところに入れられて、過酷な日を過ごしたそうです。その後、日米の捕虜交換で帰国を果たしたのですが、ハワイでの出来事については、皆、口を閉ざしていたそうです。なぜなら、今度はアメリカのスパイ!呼ばわりされるからです。祖父はこの島の寺に子どもがいなかったので、養子として島に来た人でした。出身は三次市。私の実家の寺の隣のお寺です。時は流れ・・・巡り巡って、ご縁があって、私が25年前にこの島に嫁いできました。式を本堂で上げて、呉の披露宴会場に高速艇で向かう前、桟橋で私たちに向かって手を合わせておられるお年寄りの姿を見て、身が引き締まったのを、昨日のように思い出します・・・」とのことでした。