領解文

 領解文「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ。たのむ一念のとき、往生一定御たすけ治定と存じ、このうへの称名は、御恩報謝と存じよろこびまうし候ふ。この御ことわり聴聞申しわけ候ふこと、御開山聖人(親鸞)御出世の御恩、次第相承の善知識のあさからざる御勧化の御恩と、ありがたく存じ候ふ。このうへは定めおかせらるる御掟おんおきて、一期をかぎりまもりまうすべく候ふ」。

 領解文=りょうげもん=浄土真宗のお寺で、法話を聴いた後に、みんなで唱和するこの文を、新しい解釈で、わかりやすく・・・というのが、騒動の発端らしいのですけど・・・騒動というふうに世間が見るということは・・・好ましいことではありませんので、穏やかにお話し合いで解決しないことには・・・らしくないと思います。