猪木寛至・・・思いを馳せる

アントニオ猪木=本名: 猪木 寛至〈いのき かんじ〉が79歳で逝った。俺の名前も『寛至』読み方は「ひろし」ではあるが、中学の時プロレス好きの松田先生が何かの表彰で賞状の名前を「かんじ」と読んだ時からニックネームは「かんじ」になった。

 名前を書くとき、アントニオ猪木に毎回思いを馳せて来た。改めて、Wikipediaで調べてみた「プロレスデビュー、1960年(昭和35年)4月11日、興行でサンパウロを訪れていた力道山から直接スカウトされ日本へ帰国し、日本プロレスに入団。1960年(昭和35年)9月30日、本名の猪木寛至として、東京都台東区台東区体育館で大木金太郎を相手にデビュー。1962年(昭和37年)11月9日、沖縄県那覇市での長沢秀幸との試合において、リングネームをアントニオ猪木に改名」とある。

 今まで、偶然に「寛至」を命名したのだと思っていてけれど、俺が生まれたのは1961年11月だから、熱狂的なプロレスファンだった祖父が「寛至」と命名したのかもしれない。みんな逝ってしまって、今となっては知る由もない。