1998年フランスW杯、当時、東広島の高美が丘営業所のサラリーマン所長だった私。上司に許可を得て、JTBのサッカー観戦ツアーでフランスへ一週間行きました。イタリアーオーストリア、パラグアイーナイジェリア、韓国ーベルギー、イングランドーコロンビアを観戦。20年経った今でも、あの一週間の思い出は、鼻の奥がツンとします。やりたいことをさせてくれる・・・女房殿にメルシー!感謝!
うちの掲示板、通りがかりの人が、チラッと見てくれたら・・・うれしいです!
近くのコメリに、新聞を届ける時、コメリのポストの前に、「一束100円!」の芝生の束が山積みに。1日・2日・3日目に乾燥して苦しそうな芝を見るに堪えられず、とうとう買ってしまった18束。さっそく、水をたっぷりかけてやりました。張り方については、しっかりお勉強してからです。
実はサッカー少年の私、芝マニアなんです。小学生の時、TVダイアモンド・サッカーで見たイングランドのサッカースタジアムの緑の絨毯のような美しい芝。Jリーグが始まる前の、日本サッカーの茶色のがっかりな芝。ゴルフではアメリカのマスターズが行われるオーガスタの芝の美しさ。だから、最近ではゴルフに行っても、芝の状態ばかりが気になって・・・ディポットに目土することで、疲れてしまうのです。
つらつら考えると・・・貧困で大学に行けない子供のために「無償の奨学金を!」「大学に補助金を!」とか、もしもガンになった時のために「がん保険で安心を!」とか、金利の安い今こそ「住宅ローンで家を建てるチャンス!」とか、スマホの無料通信アプリで「コミュニケーションをしっかり!」とか、北朝鮮とアメリカの歴史的な会談で「核の放棄が一番のテーマ!」とか・・・。なんかなぁ???そもそも、大学行かなきゃならんですかね?財務省に入って自分の『真心』さえも曲げなくてはならんですかね?保険支払額と補償額のバランスはいかがなものですかね?空き家が多いこの時代のミスマッチはいかがなものですかね?核を持ってる側が核の放棄を訴えるのは、矛盾があるんじゃないですかね?便利便利で何も考えない『民』のほうが、管理する側は容易ですので、そこんところよく考えないと、いけんと思います。『民』の漢字の語源は「目を針で突いて目を見えなくした奴隷」の象形文字ってことを、頭の片隅に入れておくといいかも知れません。