
広島で生まれ育ったけど、原爆報道が苦手です。母は大正15年=1926年10月1日地生まれ。祖父とともに中国電力に勤めて、20年8月の原爆投下の数日後、仕事で三次市から広島に応援に行ったそうです(祖母談)。その後結婚して離婚して・・・波乱万丈の人生を歩むわけですが、祖父も母の弟も持ってる原爆手帳を、持っていないことが、2000年後ごろ判明しました。本人は大阪に住んでいましたので、会って話したことはありませんが、今思うと、原爆差別を恐れての申告しなかったのではないかと思います。特に健康被害はなかったようですが、原爆手帳のメリットを放棄してまでの判断はいかばかりのことだったのかと推察します。2005年11月12日80歳でなくなってるんですけど、もしも原爆が落ちていなかったら、母の人生も違ったものになっていたのかも知れませんし、私はこの世に生まれていなかったと思います。