昏い過去・・・俺の黒歴史⑮

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黒歴史】心を凍らせながら食堂を開けていた母、万博の翌年、俺が4年生の1971年10月1日の朝、蒸発。大正15年(1926年)10月1日寅年生まれの母にとって、45歳の誕生日。お父さんという名の自由人は、血眼になって捜し、三次市に住む母の両親にも電話で糾弾。景気のいい時に雇っていた乳母と知人を呼び寄せ、食堂を再開するも客足は戻らず。1972年4月、結核も完治し高校進学のため帰宅した兄。この状況に耐えきれず、すぐに悪い友達と遊ぶようになった。ある日の夕方、化粧の濃いお姉さんを連れて来た彼(お父さんという・・・)、そのお姉さんが「ぼく、外で遊んで来てくれる」と。俺を生後100日から見ていたという乳母は、いつも猫かわいがりしてくれた、兄には冷たかったけど。やがて乳母の知人と彼(お父さん・・・)が深い中になり、乳母を追いやり、乳母の知人は3人の子供を連れて引っ越してきた。長女は高校2年生、長男は6年生、次女が幼稚園。高校2年生の長女は、その筋の男性の子を身ごもり退学し出て行った。事情は分からないが、俺が5年生(1973年)の2月、3人の子のおばさんは列車に飛び込んで、脚を切断する重傷で入院。2人の子供も出て行った。食堂は閉店。少しばかりの金を高校生の兄に渡して、彼(父)も出て行った。兄と2人の生活。ボンカレーサッポロ一番が主食の日々。かなりきついですな。