「とびしま」の誇り 内田一樹内野手

1月31日付の中国新聞朝刊「頑張れ頑張る」に掲載された、

春の甲子園に出場するイチクレの奥田一樹内野手は豊浜中学校出身!

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『とびしま』から甲子園出場選手が出る!(ううう涙)誇らしい!キャッチボールする相手がいない!競争相手がいない!チームすらできない!保護者の送迎がないと練習できない!ナイナイ尽くしの島ならではのハンディキャップを乗り越えて、エライ!そしてコメントで泣いた「島の人が喜ぶプレーをします」。安芸灘大橋に「頑張れ!奥田一樹内野手!」の横断幕を、だれか作ってくれませんか!

◆小中学校の統廃合で揺れる過疎地域、「とびしま」とて他人事ではありません。「一人でボールを真上に投げて練習している息子を見ると、子供がたくさんいるところへ行かせたくなります」とは、島のとある父親の弁。私が2000年までいた東広島市の「高美が丘」の小学校は当時県内一のマンモス小学校で児童数2000人。競争の厳しさは顕著。中学校に上がるとき、公立の高美が丘中学校と近畿大学付属中学校・高校とに分かれます。その後、近くに中高一貫の「広島中高」ができたので、その競争の激しさMAX!幸い転勤で福山に、息子は5年生の途中から福山っ子。息子の同級生で神童と言われたTくんは、小学校から塾は特待で無料!学院中学高校を出て東京大学へ。「息子が誇らしく、鼻高々でした」と当時を振り返るTくんのお母さん。しかし、東京大学へ行って、Tくんは不調になり・・・、お母さんも東京のアパートで同居することに。何が良いかどうかは、誰にもわかりません。

還暦会 RE LIFEに向けて

今朝の朝日新聞朝刊に『還暦会』が掲載されていました。

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還暦になり、定年延長で65歳まで働く方も多いと思いますが、人生100年時代、60歳は人生再構築の節目。◆島でも、還暦会ができないでしょうか?ミカンの花の香る5月に。島のみんなで手伝って、実家のある人も、実家がなくなってしまった人も・・・。一泊して、みんなでこれからの「人生の仕上げ」を考える。Iターンの私ですが、ワクワクします。

◆島暮らしは60歳からがBESTではないかと思っています。なぜなら、①島には仕事が少ない!②小学校・中学校も統廃合の不安。③温暖な気候は体と心に優しい。④買い物はネットで間に合う。⑤年金や貯金と自給自足的なスローライフができる気力と体力がある。⑥町内会に入れば、葬儀費用は格安で済む?⑦病院も親切だしよく診てくれる。などなど・・・。

RE LIFEする ENDING ISLAND うーん 

 

 

 

 

たった一つの賞状

50㎞夜間歩行福山の「完歩証」が、わが家に飾ってある唯一の賞状?です。

大寒の時期に毎年開催される50㎞夜間歩行は、福山市役所を夜7時にスタートして、上下町役場まで53.5㎞、標高差408mの登りばかりのウォーキング大会です。

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蒲刈に来た年の平成21年の2月、会社の経営方針で上司と衝突していましたが、抗えるはずもなく。意に反した命令に従いながらの日々でした。立場と給料と自分の中にある「大義」を天秤にかけながら、時間ばかりが過ぎていました。生きている実感がほしくて、50㎞夜間歩行に参加、今より10kg以上太っていて、運動不足の体には、きつかった!30㎞を越えたあたりからの坂がトクにきつくて、足の皮は両足ズルむけで、痛いし暗いし、救護車は回ってくるし、年配のおばさん達には追い越されるし・・・。ゴールした瞬間、涙・・・声も出ませんでした。生きている実感がほしい人は、ぜひどうぞ!

NEW-SPOT in SHIMOKAMA

安芸灘大橋からまっすぐ下りて、キシナお好みとコメリの間にある看板、右折して左折してカマタGSの向かい側に、「いちご狩り」スポットが誕生! 看板に電話番号があれば・・・もっといいと思います。

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原風景

1月25日テレビ朝日系で放送の「あいつ今何してる?」で、小島奈津子が、今でも夢見る「原風景」が再会した同級生の「原風景」と同じだった。っていうのを見ていて、俺の「原風景」って?考えました。

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この写真は昨年2月の新聞休刊日に行った「河口湖から見た富士山」です。が、「原風景」とは無関係。

広島市内で生まれ小学校卒業まで育ち、三次で中学・高校、大学以降は広島市、結婚して転勤で、東広島市福山市、そして下蒲刈島を「終の棲家」と決めました。これから・・・お迎えが来るまで生きる島。ENDING ISLAND として、子育ての終わった人々が集う島ってのも、いいかも?ってことで、私の「原風景」はこれから、ここで、心に焼き付けたいと思います。

 

同窓会 三次中学校1977年卒業生

雪の影響で、三次にたどり着けるのか?思案した結果、広9:07発、広島10:00発、三次11:22着で、三次に。道中、昨年文庫化されて、女房が夏に買ってくれた重松清著「赤ヘル1975」を読みました。お話の舞台は1975年の広島市中心部。主人公は転校生とカープファンの同級生たち。1974年に三次中学校に転校して、中学2年にカープの初優勝を三次で迎えた私とドンピシャリ!道中の時間を感じずに三次に着きました。f:id:tobishima-life:20170123102213j:plain

中学卒業40年、前回の同窓会から18年ぶり。120人の同級生のうち参加できたのは約30人。昨年11月に急逝した女子も含め6名が雲の上に行ってしまいました。皆、いいおっさんやおばさんばっかり!正午から始まった会も15:30にお開き、二次会に行きたいけれど、ぐっとガマン。今日中に帰らなきゃ!三次駅の近くのココスまで送ってくれた女子3人とお茶して、16:28三次発で19:07広駅に戻りました。帰路もこの「赤ヘル1975」が慰めてくれました。重松作品はたくさん読んでいる私、同窓会にまつわる重松短編作品「後藤を待ちながら」も思い出しながら、鼻の奥がツンとしたのでした。